広島・平和記念資料館
昔、修学旅行の時に来たことがある「広島・平和記念資料館」。
あの時は、わからないことも多かったけれど、
大人になった今、とても大切な場所であり、
後世に伝えるべきものであると感じました。
今もなお続く戦争・核の恐ろしさを感じる現在。
戦争の終わりを願い、一刻も早い世界平和を祈ります。
資料館について
1955年(昭和30年)に開館した「広島平和記念館」を改築し、
1994年(平成6年)6月に、「広島平和記念資料館(東館)」として開館しました。
その後、2014年(平成26年)3月からリニューアル工事を行い、2017年(平成29年)4月にリニューアルオープンしました。
引用:平和記念資料館
平和記念資料館・情報
住所:広島県広島市中区中島町1-2
広島バスセンターから
徒歩約10分
JR広島駅から
⚫️路線バス/所要時間:約20分
南口バスのりばから、広島バス24号(吉島)線「吉島営業所」または「吉島病院」行、「平和記念公園」下車すぐ
⚫️観光循環バス「めいぷる~ぷ」/所要時間:約17分
新幹線口「めいぷる~ぷ」のりばから乗車、「平和公園前」下車すぐ(オレンジルート・グリーンルート・レモンルートも「平和公園前」を経由します。)
⚫️市内電車/所要時間:約25分
広島港行(1号線)、「袋町」下車、徒歩約10分 江波行(6号線)、広電宮島口行(2号線)、
「原爆ドーム前」下車、徒歩約10分
⚫️タクシー/所要時間:約15分
開館時間
3月~ 7月/8:30~18:00
8月 /8:30~19:00(8月5日、6日は20:00まで)
9月~11月/8:30~18:00
12月~ 2月/8:30~17:00
休館日
12月30日・31日
入場料
大人(大学生以上)200円(30人以上の場合、1人当たり160円)
高校生100円(20人以上の場合、無料)
中学生以下無料
日本への投下
広島に投下された原子爆弾 リトルボーイ(縮尺1/8)
アメリカは、1942年(昭和17年)6月、後に「マンハッタン計画」と呼ばれる極秘の原爆製造計画に着手しました。
原爆開発が進みにつれ、日本への使用を検討し、投下目標は都市の規模や爆風で効果的に損害を与えることができる地形などを基準から選びました。
アメリカは原爆投下により戦争を終結させれば、ソ連の勢力拡大も抑えられ、膨大な経費を使った原爆開発を国内向けに正当化できるとも考えました。
引用:平和記念資料館・展示内容文
長崎に投下された原子爆弾 ファット・マン (縮尺1/8)
1945年(昭和20年)
8月6日 午前8時15分 広島原爆投下
8月9日 午前11時2分 長崎原爆投下
被爆前の広島
今の「原爆ドーム」は、被爆前「広島広島県産業奨励館」でした。
商家・民家が密集している平和な広島だった、あの頃。
原爆投下時間
1945年8月6日
8時15分
恐ろしい原爆が広島へ向かってきました。
広島に投下された原爆はm地上600メートルの上空でさく裂しました。
さく裂の瞬間に強烈な熱戦と放射線っが放出され、
強烈な爆風が吹き抜けました。
市内のほぼ全壊が被害を受け、たくさんの人たちが、手の施し用のない、ひどい火傷や傷を負い亡くなりました。
引用:平和記念資料館・展示内容文
爆心地は、今の原爆ドームのある近くであります。
平和記念資料館も、原爆ドームの近くにあります。
爆心地・島病院
爆心地を探してみると「爆心地・島(しま)病院」の場所には、
今も島病院があり、爆心地説明の碑がありました。
被爆前「広島広島県産業奨励館」。
現在「原爆ドーム」
平和だった広島広島の風景が変わりました。
被爆の実相
平和記念資料館には、被爆にあった人たちの、たくさんの言葉や写真があります。
一つずつ読んでいくと、胸が熱くなり、涙が溢れてしまいます。
写真には撮れないほどの、悲惨な状態が残されています。
日本人だけでなく、外国人も平和記念資料館にたくさん訪れてくれています。
原爆の恐ろしさを実感できる唯一の場所です。
たくさんの展示がされていて、ゆっくり全てを読むには時間が足りないです。
是非とも、たくさんの方にも、自分の目で見て、
この原爆の恐ろしさを体験して欲しいと感じました。
一発の原子爆弾が、無差別に多くの命を奪い、生き残った人々の人生も変えました。
広島平和記念資料館は、被爆資料や遺品、証言などを通じて、
世界の人々に核兵器の恐怖や非人道性を伝え、ノーモア・ヒロシマと訴えます。
引用:平和記念資料館・展示内容文
放射線
大量の放射線は建物を突き抜け、人体の奥深くまではいり、
細胞を破壊し、深刻な障害を引き起こしました。
原爆は100万分の1秒をいうごく短い時間で起こった核分裂の後にさく裂しました。
核分裂の開始からさく裂後1分までに放出された放射線を初期放射線といい、
爆心地から1キロメートルの地点でも、死に至る急性放射線障害を発症するほどの量に達しました。
その後、入市した人々も被爆しました。
放射線による被害は、被爆直後だけでなく、白血病やがんなどのように何年も経って症状が現れる場合があ離、長期間にわたり、人々を苦しめました。
引用:平和記念資料館・展示内容文
死者数約14万人(1945年の終わりまで)
平和の池
「原爆死没者慰霊碑」を囲み、慰霊碑が浮かび上がるように設計された池です。
中央の石室には原爆死没者名簿が納められており、
石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」刻まれています
平和の灯
1964(昭和39)年8月1日点火されて以来ずっと燃え続けており、
「核兵器廃絶まで燃え続ける灯」を、
日本全国民の平和の象徴にしたいとの願いが込められています。
平和の池から、原爆ドームを眺めることができます。
原爆ドーム
昭和20年8月6日 史上はじめての原子爆弾によって破壊された
旧広島県産業奨励館の残骸である。
爆弾はこの建物のほぼ真上約600メートルの空中で爆発した
その1個の爆弾によって20万をこえる人々の生命が失われ
半径約2キロメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した
この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため
国の内外の平和を願う多数の人々の寄金によって補強工事を施し
これを永遠に保存する
昭和42年8月6日 広島市
引用:原爆ドーム説明文
原爆ドームをゆっくり眺めるのは初めてですが、
ここだけ時が止まった、なんとも寂しげで、怖さを感じました。
平和を願う多数の人々の寄金によって補強工事を施しながらも、
現在も当時の状態に保存されていますが、
原爆の一瞬の衝撃波の怖さは凄まじいものです。
帝国銀行広島支店
原爆ドームの近くにある商店街を歩くと、「旧 帝国銀行広島支店」の説明文を見かけました。
写真の建物は、1925(大正14年)に三井銀行広島支店として建てられましたが、原爆投下時は合併により帝国銀行広島支店となっていました。
猛烈な爆風のため、屋根は抜け落ち、爆心地に近い西側外壁も崩れ落ちました。
引用:旧帝国銀行広島支店の説明文
銀行の面影を残しながら、おしゃれな建物が建てられていました
この建物とは、
広島アンゼルセン
なんと、
「広島アンゼルセン」です
アンゼルセンのパン屋は、多くの県のデパートなどに店舗があり、
とても有名なパン屋です。
広島に本店があるとは知らなかったです。
広島アンゼルセンは、パンの種類も豊富であり、デリ・ケーキ・スイーツ・ワイン・フラワーなど揃っていて、
店内のレストランでいただくこともできます。
広島アンゼルセン・情報
住所:広島市中区本通7-1
営業時間:1F ベーカリーマーケット:10:00-19:30
サンドイッチスタンド:7:30-17:00
*7:30よりパンとコーヒーをご用意)
*できたてのオーダーサンドイッチは10:00から販売
2F レストラン
平日 11:00-21:00
土日祝 8:00-21:00
定休日:毎月第3水曜日
広島城・ユーカリ
そして、広島の街を歩くと、被爆を感じられる場所を見つけることができます。
「広島城・ユーカリ」の被爆して生き残った木です。
爆心地から740m。
ここで被爆しました。
被爆して生き残っているユーカリはこの木だけです。
引用:被爆樹木ユーカリ説明文
広島城・情報
住所:広島市中区基町21番1号
最後に
今回、広島に伺わせてくれた機会に感謝を感じ、
世界平和を願い、あの過ちを繰り返すことなく、
戦争が終わることを願いたいです。
ひよ夫婦インスタ
「広島平和記念資料館」「原爆ドーム」の様子をGOPROで撮影しインスタにあげています。
写真では伝わらない、素敵な雰囲気の風景を撮ってみました。
1分くらいの動画です、BGMと共に動画が楽しめれるようになっています。
お時間がありましたら、どうぞご覧くださいませ。
スポンサーリンク